映画監督・クリエイター・プロデューサー・俳優養成、配給会社・宣伝会社等映画業界の就職サポート。従来の映画学校と異なる学校・ニューシネマワークショップ

映画の世界で行きたい人のための本格的ワークショップ

ニューシネマワークショップ

資料請求 Q&A
説明会 個別相談会

実績

映画学校ニューシネマワークショップ > 実績 >  PFFグランプリ熊谷まどかインタビュー

PFFアワード2006グランプリ作家
熊谷まどか INTERVIEW<前編>

当HPのニュースでもご紹介したように“新人映画監督の登竜門”PFFアワードでNCWクリエイターコースOB・熊谷まどか監督作品『はっこう』がグランプリを受賞しました。情報誌・ぴあでも「主婦監督がグランプリ!」などと話題になっています。
その熊谷監督にインタビューを敢行! 聞き手はNCW主宰の武藤起一。これを読むと「これから映画を撮ってみたいなあ…」「もう映画をやるには遅いのでは…」と思っている人に大きな勇気を与えてくれます!


熊谷まどか


熊谷まどか監督

グランプリを獲る人って、スゴい人だと思ってたんですよ

−−まずは、PFFでグランプリを獲った率直な感想をお願いします。
熊谷:本当にあんまり実感がないんですよね。いろんな人からそういうことも聞かれるし、そういうので原稿を書いてくれと言われて書いたりもしているんですけど、本当に沸き立つような喜びとか、そういうのがあんまりなくてですね…

−−だってもう獲って結構経ったでしょ?
熊谷:そうなんです。だからそのうち嬉しくなるのかなと思いつつ、もう1ヶ月ぐらい経っているので、ああこういう感覚のままなのかなと。スゴい人だと思ってたんですよ、グランプリを獲る人って。だからもう本当に高校生くらいの頃からPFFは知ってたので、そういうので賞を獲る人ってものスゴい人なんだと。

−−高校生の頃からって言うと、20年位前から?
熊谷:そうですね。80年代位ですね。ちょうど高校生の時に関西でも「ぴあ」が発売されてですね、買ってたりしたので。

−−じゃあ、その頃からの一応目標ではあったわけですか?
熊谷:目標というより、ものスゴいことをめざして努力をして映画を撮る人がいて…映画監督という仕事も、特別な人がやる仕事だと思っていたので、今頃になってですね、グランプリと言われてもですね…なんかこう全然……

−−今頃になってって?
熊谷:だからですね、この歳になって……

−−史上最年長なんて言われて?
熊谷:やっぱそうなんですか?

−−いや、分からないです。最近の動向までは細かくチェックはしていないですから。
   僕が(PFFを)やっていた頃にはいなかったよね。

熊谷:例えば、いきなりミスユニバースって言われても、「アタシが?」って思いません? それぐらいの感覚ですよ。あぁ、そうなんだ。“あたしレベル”でミスユニバースなんだーという感覚ですよ、言ってしまえば。

−−まぁ、何となく分かります.。結構雲の上っぽいような感じだったんだけど…ていう。
熊谷:そうですね。で、私もめちゃくちゃこれをめざしてがんばって一直線に努力してきたというのではないので。



映像制作の世界から落ちこぼれちゃったな〜と…

−−でも、あなたがNCWの門をくぐったのは3年前ですから、もう30代になってましたよね。
   映画を撮りたいと思ったのはいつぐらいなんでしょうね。

熊谷:どこまでさかのぼればいいかって話なんですけど、漠然と作るものに対する興味は高校生ぐらいからあったんですね。いちおう、思考的には興味がある人間だったんですよ。ある人とない人がいるじゃないですか。で、ただそれが映画に絞り込んだわけではなくて、学生の時には演劇をやってましたし。

−−大学の時に?
熊谷:そうですね。で、いちおう就職をする時には「ぴあ」も受けたりしたんですけど。大学生の頃ってバカなんで、別にメーカーの仕事でも(映像を)作ることってあるんですけどそれを分かってなかったんで、アホみたいにいわゆるマスコミ系の志望でして。結局、映像の制作会社しか入れなかったんです。
それで実際に制作会社に入って、CMが主だったんです。CMのディレクターの人って、当たり前なんですけどプロフェッショナルで。仕事としてもの作りをするというのはこういうことなんだ、自分の思い入れとかじゃなくて、ちゃんと要求されたものを表現できる人じゃないとだめなんだというのを目の当たりにしてですね。あ、やっぱり選ばれしものがやる仕事なんだって、ものすごく思ったんですよ。
現場の仕事というのは、体を動かしてやるのは嫌いじゃないんで楽しかったんですけど、楽しいを上回るしんどさもあって。制作進行という仕事をしていたんですけど、4年ぐらいで辞めまして。それで、中途半端をしちゃったな、逃げちゃったな〜と。本質的なことではなくて、人間関係のしんどさとか、体力的なしんどさで逃げちゃったというのがあって、私はこういう世界から落ちこぼれちゃったな〜っていう思いがありました。

−−「もうやりたくない!」と言って辞めたんですか?
熊谷:そうです。だからもうそういうものに触れたくないっていうのがあったんですよ。それで、長い間全然関係ない仕事を。百貨店で洋服の販売をしたりしました。特選衣料品という売り場で。なんだかんだで4年ぐらい働いちゃったんですけど。でもそうやりつつもどこかあきらめきれないものもあったりして、シナリオ学校に行ったりもしてたんです。それも今にして思うと、ウケるものを、面白いものをちゃんと商品として書けなければシナリオライターにはなれないわけでして。やっぱりそこで「こんなものはテレビ局のコンクールには受からないよ」とか言われて……

−−シナリオスクールに行ったのは、シナリオライターになりたいと思って行ったんですか?
熊谷:作る仕事で何かになりたいと思ったときに、それも30歳位だったんで、カメラマンとかなれないですしね。シナリオライターならもしかして隙間があるんじゃないかって思ったり……


NCWに行きたいと言ったら、旦那は全然オッケーでした

−−じゃあやっぱり映像の世界に戻りたいって気持ちはあったんですか?
熊谷:したいっていうのはありましたね。シナリオコンクールに応募したりしたんですけど。一番残ったのは、日テレの二次審査とか。それでぐだぐだ遠回りした末に、「そんなにやりたいならぐだぐだ言ってないでやればいいんだ!」とやっと思って、それでNCWに来たというかですね。
その前に自主映画っていうのが分かってなかったんで。学生の頃に8ミリの自主映画は撮ったりしてたんですけど、今の自主映画ってどんな感じなの?って思って。それでどんなものか知りたくて、多摩の映画祭あるじゃないですか?

−−多摩シネマフォーラム?
熊谷:そうそう。あれのボランティアスタッフを募集していたんで、多摩ニューウェーブ(コンペ部門)の観客審査員とかできるんですよ。それとかやって、ちょうどそこで『スモウな彼女』(NCW実習作品)とか見たんですよ。で、「あーなるほど、今これぐらいのものが作れるんだな」と。なんか面白そうだなとすごく思って。ここまでがニューシネマワークショップに入るまでですね。

−−それが3年前。その時の明確なモチベーションって言うのは、ただ撮ってみたいって?
熊谷:そうですね。

−−またそれを仕事にしたいっていうのは?
熊谷:仕事にはならないだろうなって思っていました。それは自分であきらめがついていたんで、逆に作ろうと思えたっていうのがあったんですよ。20代の時は、やるからには仕事になんなきゃみたいな、何者かにはなんなきゃっていう意識があって。だからシナリオライターとか、そっちにも行ったりしたんですけど、30も過ぎて今さら入れないじゃないですか。普通に就職試験を受けたりしても。だから、好きなものを作ればいいんだって、そう思えたんです。旦那が制作会社時代の同僚だったんで。

−−あなたがやめても、旦那はずっと会社に残っていたんですか?
熊谷:そうです。もともと音楽ものをやりたかったらしくて、旦那はちょっとづつ自分がやりたいことに近づいていってるのを目の当たりにしてですね。それに引き換え、私は生活のためにデパートでお洋服を売ってるのって何たることかという気持ちもありましたね。

−−結婚したのはいつですか?
熊谷:10年位前ですね。制作会社を辞めた時です。

−−それから主婦業をしていたわけですか?
熊谷:私も働かないと食べていけなかったんで。

−−旦那に映画学校に行きたいって言った時の反応は?
熊谷:全然オッケーでしたね。むしろあたしが「あんただけ好きなことやってー!」と半年に1回ぐらいキレるので、ニューシネマワークショップってとこがあって行ってみようかなと思うんだけどって言ったときは、「行った方がいいんじゃない?」って全然素直に言ってくれましたね。

インタビュー後編はこちら>>>


映画学校ニューシネマワークショップ > 実績 > PFFグランプリ熊谷まどかインタビュー

〒162-0042 東京都新宿区早稲田町73番地村橋ビル2F TEL:(03) 5285-7455 FAX:(03) 5285-7457
Copyright(C)1998- 2009 new cinema workshop. All Rights Reserved.