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[みせる]配給・宣伝の
仕事に就く方法教えます

映画業界に就職・転職したい女性たちへ
配給・宣伝の仕事に就く方法教えます【採録】

<ゲスト>
渡辺江見(映画宣伝会社 マンハッタンピープル 宣伝担当/NCWOG)
葉田野理絵(配給会社 ブロードメディア・スタジオ 国際担当/NCWOG)
井上寛子(配給会社 ショウゲート 宣伝担当/NCWOG)

これまでに約400人のOBが映画業界に入り、特に配給・宣伝への就職においてはゆるぎない実績を築いてきたNCW。2014年3月、配給・宣伝の仕事で活躍を続ける3人のNCWOGを迎え、これから映画業界に就職・転職したいと思っている人たちにとって、他では聞けないとても有益な話をたっぷり3時間してもらいました。それを完全採録しましたので、ぜひお読みください。

[聞き手:武藤起一(NCW主宰)]

ここしかない!と思ってNCWに入りました

――
渡辺さんはディストリビューターコースの8期で、NCWに通っていたのはちょうど2000年なんですよね。それ以前は何をやっていたんですか。
渡辺:
大学を卒業してから、全く映画とは関係ない会社に就職をしまして。金属メーカーで営業補佐をやっていたんですけど、1年半ぐらいで辞めてしまいました。その後、派遣社員をやっていたんですが、もともと映画がすごい好きで、映画に関わるようなことができたら素敵だなと思っていた時に友人から、こういう学校があるらしいよってことを聞いて、働きながらNCWに通いました。
――
もともと映画が好きだったけども、映画業界に新卒で入ろうとは思わなかった?
渡辺:
その時は映画が仕事にできるのか全くわからなくて、趣味で好きだったというところですね。それで普通の仕事をしていて、自分のやりたいことと今やっていることはすごく違うなと思い、映画を仕事にしてみるのはどうだろうかと思った時に、NCWのことを知りました。映画の仕事に就くには、まずどんな仕事があるのかってことから知りたいと思って、昼間仕事をして夜(NCWに)通うという生活をしていました。
――
葉田野さんは11期で、2001~2002年頃NCWに通っていたと思うんですが、それまでは何をやってたんですか。
葉田野:
ちょっとややこしくて、ちらりと業界の仕事をしているんですよ、数か月。そこで、映画マーケットに1回行ってるんですよ。そこはいろんな事情があって辞めてしまったんですけど。その後、人材派遣会社の営業っていう全然違う業界で働いていて、やっぱり映画の仕事をしたいなと思って、映画の仕事いいなと思って。その時に映画はコネだなと思ったんです。そんなに大きい業界じゃないと知っていたし、新卒じゃないので、コネクションみたいので入らないとダメだなと思ったんですよ。いろいろ調べているとNCWを知って、これならいけるかもって。(映画業界の)いろいろな講師の方が来ると書いてあって、そこで何かあるかもと思って入りました。
――
その時、何の仕事をやりたいとというのは明確にあったんですか。
葉田野:
映画マーケットがすごく面白かったので、マーケットに行きたいなとは思ってました。何でもいいんで、マーケットに行ける仕事に就こうと。
――
井上さんは27期、ちょうど4年くらい前ですね。比較的最近ですね。その前に何をやっていたかと言うと、学校の先生。
井上:
そうですね、小学校の教員をやっていました。もともと大学も教育学科で、教員になりたいなと思って。でも、一生の中でひとつの仕事を一生続けるぞという気持ちもなく。それで丸4年経った時に、今できることをやってみようと思い、チャレンジしたかった映画業界を目ざそうと思いました。そもそも業界にチャレンジするために、経験もない、新卒でもない、ましてや大学を出てから小学校勤務で、一般的な社会人社会人経験もないところで、映画につながるチャンスはどこなんだろうと思った時に、インターネットでNCWを見つけました。多くの卒業生が映画業界に就職しているらしいということが分かったので、ここしかない、という気持ちでした。

本を見て片っ端から映画会社に電話しました

――
今度は、どうやって映画業界に入ったかという話を聞きたいと思います。渡辺さんはNCWを卒業して最初に就職したのは、配給会社のセテラインターナショナルでしたよね。そこに入るきっかけは?
渡辺:
その当時は、映画業界に入るのがすごく難しい状況でした。経験もないし、大手に入るのは難しいなと思っていたので、まずは募集しているところはないかと考えた時に、映画の会社が載っている本があって、それを見て片っ端から電話したんです。募集とかなくても欠員があるんじゃないかと思って。その時に丁度、欠員が出そうだというのがセテラで。その頃はヨーロッパの映画を中心にやっていたということもあって、面白そうだなと思いました。電話して、面接して、まずは一作品やってみましょうかということで。『ムッシュ・カステラの恋』という2001年に公開した作品があるんですが、それが初めて関わった作品でした。
――
いきなり行って、これちょっとやってみてって?
渡辺:
そうですね。欠員が出ることは決まっていたみたいで、ちょうどタイミングよく電話したんですね。直接電話して「欠員がないか?」と聞く人はなかなかいないらしく(笑)。ちょっと面白そうだなと。
――
それは、そういう戦略があってやったわけではなくて?
渡辺:
単純に、どう入っていいかわからなくて。
――
とにかく片っ端から電話してみようと。あっさり断られたところもあった?
渡辺:
そうですね。「今、欠員はありませんねー」とか、そういうのもありました。
――
その当時はNCWも4年目でまだ実績もなかったし、今みたいにちゃんと求人が来ている時代じゃなかったんで、渡辺さんの場合は自力で入ったという感じですね。
渡辺:
そうですね、自力で。あとは入りたい会社がひとつあったんです。その方がスペシャルスタッフとしてNCWのレクチャーにいらっしゃっていて。
――
そのスペシャルスタッフというのは、竹内伸治さん。当時はアスミック・エースの宣伝部長でした。
渡辺:
そうです。NCWの期間中、何回か飲みに行く機会もあって。もともと竹内さん自身に魅力があって、その人が働いている会社で働いてみたいなっていう感じで。
――
その当時のアスミック・エースは勢いのある会社で、『トレインスポッティング』を始めとして単館系作品で大ヒットをポンポン出していました。本当はそこに行きたかった?
渡辺:
セテラのラインナップも魅力的だったので、まずは縁があったこの会社でお世話になろうと思いました。
――
セテラには何年いたんですか?
渡辺:
渡辺:3年半ですね。
――
渡辺さんがセテラに入ったのが26歳ですよね。そこに3年半いて、その後に?
渡辺:
アスミック・エースに入りました。
――
念願の。それはどういう経緯だったんですか。
渡辺:
単館系作品の宣伝手法みたいなものはひと通りセテラで経験できたので、もうちょっとステップアップしたいなと思って。日本映画の宣伝もしたいですし、洋画のもう少し大きな作品とかもやりたいと思っていて。そんな中で、竹内さんを訪ねまして。最初に行ったときは「まだスキルが足りないね」ということでダメで。次に会った時も面接で落ちてダメで、3度目にようやく。宣伝始めて3年半くらい経った時、「なかなかしつこいね」って言われて、竹内さんが根負けしたというか、「じゃぁ、やってみる?」っていう話で。
――
それで晴れて念願のアスミック・エースに入って。「やったー!」って感じですね。
渡辺:
そうですね、やっと目標の会社に入れたと。その頃は単館系の全盛期と言いますか、活発な時で。私は「コーヒー&シガレッツ」を始め、小さな作品も結構やりました。ラインナップがすごい豊かで、途中から(ハリウッドメジャーの)ドリームワークスの作品もやりましたし、邦画も軌道に乗ってきた時期で。偏らずいろんな作品の宣伝に携われて良かったなと思いますね。

NCWOGの渡辺江見さん

1年間、LAに行ってインターンをしました

――
葉田野さんは、NCWを受けてコネを掴もうと思って。でもNCWを出た後、アメリカに行ったんでしたっけ?
葉田野:
NCWで宣伝実習とかやってみて、日本はこうだけど、じゃぁ洋画はどうなっているんだと。洋画が大好きだったので、やっぱりアメリカに行こうと思ったんですよ。海外インターンみたいな制度があって、そこにお願いしてインターン先を探してもらってたんです。
――
アメリカはインターン制度がたくさんありますからね。
葉田野:
そうなんですよ。インターンして、そのまま会社に入るとか普通で。でも、やっぱりロサンゼルスだなと思って、寒いところは嫌だなって。
――
そういう問題? LAはハリウッドのお膝元だからとかじゃなく?
葉田野:
まぁ、そうなんですけど…。それでたまたまNCWにいらっしゃったスペシャルスタッフの方に相談したら、日本にアメリカの制作会社の人が出向しているから、その人と一回話してみればって言われて、紹介して頂いたんですよ。その人と話して、「うちのLAの会社でインターン取るから来れば?」ってことで、そのままインターンという形でLAに行って1年くらいいました。
――
ちなみに英語は話せたんですか?
葉田野:
なんちゃって帰国子女で…。高校の時に家族の転勤で行ってるんですよ。でも1年弱だったので、しゃべれなくて。ずっと勉強はしてたんですよ、これはできないとまずいと思って。でも、低いレベルで。それで、他業界で仕事していた時に2年間くらい勉強して、そこそこはしゃべれる状態でしたね。
――
インターンなんて、ゆっくり英語を勉強してる暇ないじゃないですか。働かなくちゃいけないから。
葉田野:
そうです。会社で電話取ったりしなくちゃいけないので。やっぱり行ってみると結構大変でした。
――
英語はやっぱり、それなりに大変だったんだ。
葉田野:
そうですね、すごい苦労しましたね。電話がかかってくるのはいつも弁護士とかなんですよ。会社にタイラーって人がいたんですけど、受話器を取るなり「タイラー・プリーズ」って。日本だと繋いでいいかわからないじゃないですか。だから「お名前は?」って言ったらすごい怒られて(笑)。「俺は弁護士だっ!」て。それで一時期、電話を取らせてもらえなかったりとか、数限りないボケをやってましたね。
――
その間はインターンだから当然無給ですよね?
葉田野:
無給です。すごい大変でした。毎日9時に行って18時に帰る。でもいろんな人に会えるし、普通に俳優さんがふらっと会社に来て打ち合わせというのもあったし。そこの会社は邦画のホラーのリメイクの企画をやっている会社だったんで、『リング』の中田秀夫監督がちょうどロスに来ていて、一時期ちょこっとお手伝いをさせてもらったりしました。
――
そういうことを1年間やってて、英語もかなり上達したと思いますが。
葉田野:
そんなに上達はしていなかったんですけど。どういうふうに映画ビジネスが成り立っているのかがよく分かって、それが一番良かったかなと思います。
――
それでその後は戻ってきたんですか?
葉田野:
そうなんです。ビザがどうしても取れないので、しょうがないと思って帰ってきました。とりあえずハクだけついたじゃないですか、ハリウッドにいましたみたいな(笑)。それで配給会社に片っ端から履歴書を送りました。それで、今はなくなってしまったんですが、とある配給会社にもぐり込めて。
――
そこにはどのくらいいたんですか。
葉田野:
葉田野:8ヶ月くらい働いて、また別の会社の社長さんに声をかけていただいて。それでそこには1年半くらいいました。
――
それで、その後は今の会社に?
葉田野:
前の会社で会っていた広告代理店の方から電話がかかってきて、英語が出来る人を探してるんだけどって言われて。それがブロードメディア・スタジオで、それで面接してそのまま入りました。その時にブロードメディア・スタジオで配給の部署をつくったので、国際部の人を探してたんです。
――
国際部ということは買付けをやる業務ということですよね。今までは買付けをやったことはあったんですか。
葉田野:
今までの仕事では微妙な事をしていて、結構マーケットには行ってたんですよ。買付けではなくて、ビデオ営業という。今はあまりないんですが、ビデオ屋さんが映画を買うのをお手伝いするみたいな仕事があったんですよ。それを結構やっていたので、実はずっとマーケットには行っていて、海外の映画を買うとき必ず契約書を交わすんですけど、契約書とかも見てたんですね。
――
なるほど、もう実際にはやっていた。
葉田野:
若干やってた。「契約書読める?」って言われて、「一応読めます」みたいな感じでした。
――
ブロードメディア・スタジオはこれから配給を本格的にやるということで、買付けをやる担当者を探してて、今までの長い人の縁がつながって、まさにジャストの仕事に就けたということですね。そこからどんどんマーケットとかに行ってますよね。
葉田野:
そうですね、年6回ぐらい出張していて。ついこの間はベルリン映画祭に行ってました。
――
主要な映画マーケットには必ず行って、買付けをするという。正に、最初のマーケットの経験が本業につながりましたね。
葉田野:
そうですね。まさかの本当にマーケットに行く人になりましたね。

NCWOGの葉田野理絵さん

3月に教員を辞めて4月から業界で働こうと…

――
井上さんはNCWに入って、映画業界に入るぞと決めて、卒業後いきなりショウゲートに入ったんでしたっけ。
井上:
NCWに1年間通わせて頂きました。ちょうどその時は6年生の担任を受け持っていたので、この子たちを卒業させて自分も辞めようと思っていました。ただそうなると、3月31日付で自分は無職になると分かっていたので、なんとか4月から働けないものだろうかと思っていました。
――
NCWに来る求人は、すぐ来てくださいっていうのが多いんですよ。
井上:
そうなんです。でも、たまたま2月くらいに募集がいくつかあって、その中にショウゲートの募集もあり、応募したら4月から採用頂くことができました。その前にも1社応募したのですが、そこは落ちました。面接が終わった後に、話した内容が自分でもしっくりこなくて。そこから、自分はどうしてこの業界で働きたいんだろうというのを改めて整理しました。次の面接で、それを伝えてダメだったらそれでいいやと思ったんです。
――
「それ」っていうのはどういうことですか。
井上:
映画は好きですが、どちらかというとプロモーションの仕事がしたいと思っていました。自分が何かアクションを起こして相手に届くか。そうやって伝わることが面白いし、それは教員をやっていた時と変わらないことだなと思いました。
――
変わらないんだ、なるほどね。
井上:
あとは、第一線で働いている人と一緒に仕事をしたいなと思ったので、そういう意味で、映画業界に一番自分が求めているものがあるんじゃないかと思いました。そういう自分の想いを伝えて、これで伝わらなかったら諦めようと。そしたら運よく採用してもらうことができました。
――
先生をやっていることは、当然面接の時言ってるんでしょ。
井上:
伝えました。採用の連絡の時にも、(先方から)「本当にいいんですか?」と確認されました。
――
なんと言っても一生保障されている仕事ですからね。それを全く保障されない仕事に変えるというのは、落差がありすぎというか…。
井上:
「なんで辞めたの?」とは未だに言われます。確かに、捨てたものはたくさんあるなとは思います。
――
捨てたものとは??
井上:
公務員という肩書は社会的に大きいです。給与面でも違いますね。でも、自分で考えた結果の選択なので、納得しています。
――
渡辺さんはそういうの、どう思います?
渡辺:
全く同感ですね。私も、新入社員で入った会社は、そのままいればボーナスもすごいもらえたでしょうし、どんどん昇給もしていっただろうなっていう。まぁ、そんな安定してるところから、すごい不安定なところに行ったわけですから…。
――
葉田野さんは、そういう会社を巡り歩いてるわけでしょ。いかに映画業界が不安定かって…。
葉田野:
不安定ですね。大変なこととかいっぱい起きてるんですけど、お金の面では。でも、普通の会社で営業とかやっていた時は、本当に毎日帰って「すごい疲れた〜」って。体力的に疲れるのは今も同じなんですけど、楽しくなかったんですよ。
――
今は帰ってきて疲れてても楽しさがあると、気持ちの上で。
葉田野:
そうですね。好きなことやってるってことはすごく感じるので。毎週月曜日ってすごいつらかったんですけど、今の会社は「あれやろう!」って感じで行けるっていうか。
――
前の会社だと、月曜日がつらくてしょうがない、「ああ、また来ちゃった!」みたいな感じですか?
葉田野:
また、あれ謝りに行かないといけない、とか考えなきゃいけないじゃないですか。今も「予算が!」とか怒られるんですけど、好きな仕事だから「じゃぁ頑張ろう!」と言う気持ちになれるんで。もう、好きなことしかできないですね。

NCWOGの井上寛子さん

会う人会う人に自分のやりたいことを言っておくんです

――
渡辺さんは、映画の仕事をやってきて13年になるということですよね。
渡辺:
いや、途中で一回辞めてますので…。セテラで3年半働いて、アスミック・エースで7年くらいやって、邦画も洋画もやったし、アニメーションもやったし、やれることひと通りやって、次の目標をどうしようかなと思った時に、一回辞めてみようかなと。(映画を)離れてみようかなと思って、1年間くらい離れてました。
――
その間は何をやっていたんですか。
渡辺:
特に何もやってなかったんですが、旅行に行ったりとか。でも半年くらいして「やばい」と思って。ちょうど辞めた時に、韓国のドラマとかエンターテインメントに触れる機会があって、「次に私がやりたいのはこれだわ!」と思いました。
――
宣伝マンやってる時はそんな余裕なくて、時間ができて、それでDVDとか借りて見たんですか?
渡辺:
テレビでちょうど韓国のドラマが放送されていて。「韓国ってこんな面白い作品があるんだ!」とびっくりして、目から鱗でした。その瞬間から「韓国のコンテンツの宣伝がやりたい!」って。いろいろなつてを辿ったんですけど、なかなか空きがなくて。それで1年経った頃に、角川メディアハウスという、フリーの人が集まっている会社があって、そこに半年ちょっとほどいました。その間にちゃんとした会社に入らないといけないと思って。自分のやりたい仕事に就くにしても地盤を固めておかないといけないし、1年くらい離れていたので、スキルもちょっと衰えてきたし…。リハビリも兼ねてフリーで半年くらいやって、その後アスミック・エースの元上司に電話して、マンハッタンピープルを紹介してもらって、入りました。マンハッタンは、将来的に韓国の作品も宣伝すると言われていたので。
――
マンハッタンピープルというのは宣伝会社なんですが、この業界ではかなり老舗で、ハリウッドメジャーの作品もやっていたり、うちのOBも何名か所属しています。マンハッタンピープルで、宣伝マンとして本格的に復帰したということですね。それで、やりたかった韓国ものはどうなったんですか。
渡辺:
マンハッタンピープルから角川映画に出向して、角川映画(現:株式会社KADOKAWA 角川書店 ブランドカンパニー)の邦画と洋画を数本宣伝しました。8か月ほど在籍して、マンハッタンピープルに戻り、まず東京国際映画祭の宣伝をやって、その後『王になった男』や『コードネーム:ジャッカル』といった韓国映画を3本くらいやりました。
――
ついに韓国映画の宣伝をやって、やっとやりたいとこに来たなと。やりがいがありましたか。
渡辺:
邦画や洋画ではコンタクトを取った事がなかった媒体さん、韓流の雑誌とか全然知らなかったんですけど、またそこから媒体の勉強したりして。売り込みをする媒体が全く変わったので、すごい新鮮で、すごい楽しかったですね。
――
それで最後にはSPOに出向したわけですけど、それはどういうきっかけで?
渡辺:
私は、自分のやりたい仕事に就く上でこれが一番大事だと思うんですけど、会う人会う人に自分のやりたいことをとにかく言っておくんですよ。私は韓国ドラマの宣伝をやりたいんです、何かあったら教えて下さいって。そうした中で、知り合った方からお電話を頂いて、「実は空きが出たんだけど、どう?」って言われて。社員という形は難しいんだけど、出向ならOKっていうことで行きました。それが、去年の12月からですね。
――
それで今は韓国、中華圏のドラマのDVDの宣伝が中心になった。楽しいですか?
渡辺:
楽しいですね。今後、買付けにも携われたら嬉しいです。
――
葉田野さんは買付け担当になって、どんどん自分がやりたいことがやれている状況になってるんですよね。
葉田野:
だいたいそんな感じですね。実際の交渉では上司の通訳という役割が多いんですが。私が主導権を取って買うということは、まだなかなかないですね。もちろん、こういう映画をやりたいというのはすかさずプレゼンするんですけど。資料をまとめる時におススメを上にもってきたりするんですけど、わたしが気に入って「これを買いたい」って言うには説得力があまりなくて…。もうちょっと自分の趣味のものが買えるようになったらいいなとは思ってます。
――
でも自分が「これいいな」と思うものは買えたりはしないんですか。
葉田野:
こっそりはしてるんですけど(笑)。
――
例えば、買った作品の中で、上司が気に入る気に入らないに関係なく、私はこれを買いたかったという作品はありますか。
葉田野:
最近だと『オン・ザ・ロード』がすごく欲しくて、1年待ちました。安くなるのを。売れちゃわなくてラッキーだったんですけど。本当に欲しいから、安くなったら提案しようと思っていて、試写も見せていました。たまたまトロント映画祭で買えたんですけど、宣伝の男性が試写を見てくれて、「あれなら宣伝できます!」と言ってくれたので、「買いましょう!」と言って、ついに買えたという感じです。
――
上司はそんなに気に入ってなかったんですか?
葉田野:
そこまで反応はよくなかったです。値段もかなり下がって、そこのセラーとも仲良くしていたので、上司にも「これくらいの値段だったら買っていいよ」と言われてたので、やっと買えたわけです。
――
やっぱり自分が本当にやりたいことは、何度も言い続けるということですね。
葉田野:
そうなんです。それがもうちょっと増えるといいなと思います。

交渉から法務まで経験値だけでやってます

――
今度は、配給・宣伝の仕事とはどういう仕事なのかを聞いていきたいと思います。まず最初にやるのが買付け。これは葉田野さんですが、買付けというのはどういうふうにやるのかを話してもらえますか。
葉田野:
まずマーケットに行きます。世界には映画を売ってる会社がいっぱいあって、マーケットに行くとスクリーンインターナショナルというような業界紙があって、そういう会社の情報や、こういう作品を持ってるということが書いてあるんです。また、マーケットに事前に登録しておくと、海外のセールスから「こういう作品持ってます」というニュースレターがいっぱい来るので、それを調べておいて、ある程度当りをつけておきます。そして、それらの会社とアポを取っておいて、マーケットに行って商談するというのが、だいたい基本的な流れですかね。
――
事前に、気になる映画は目をつけておくという感じですか。
葉田野:
そうですね。そうすると、監督とキャストが誰で、どんな話でとか。さらに脚本が事前に送られてきて、それを読んで。
――
脚本は事前に読むんですか。英語ですよね?
葉田野:
事前に読みます。私は英語読むのが遅いんで大変です。早い人だと多分3時間とかだと思うんですけど、私は5時間くらいかかります。だから事前に読める本数が限られます。あと、自分が読めないものもあるので、読んで分析してくれる人もいるので、そういう人にお願いしたりもします。そして当たりをつけて、事前にいくらぐらいとかをセラーに聞いておきます。
――
値段も聞いておくんですか?
葉田野:
そうです。それで商談に行くんですよ。マーケットで試写を見て、面白かったら、このくらいの金額だったら日本でこういうビジネスプランが作れるので、これでオファーしますと言って買ってくるのがベーシックなパターンです。
――
マーケットの中で葉田野さんは、とにかく英語で先方との交渉をするということですね。
葉田野:
事前のアポ取りを1週間から10日かけてやります。それでマーケットの1週間の間に60件くらいのアポを取っておきます。マーケット期間中は、朝10時から夜6時まで30分刻みで、ぶっ通しでミーティングをやります。なので、私は試写はほぼ見れません。ちなみに、この間のベルリン映画祭では1本しか見れませんでした。
――
それで交渉して、こっち側が考えてた値段と、向こうが売りたいと思ってる値段が合意にいたれば、買うということになるわけですか。
葉田野:
そうですね。あと、いろんな条件もあったりするので、値段が折り合わなくても他のところで調整が利いたりすると、「それでじゃあやりましょう」となるんです。その時に契約書がどんと来る。英文でこれくらいの厚さなんですが。商談した通りのことが書いてあるのか、全部チェックして。それをやり取りするのに1ヶ月くらいかかります。
――
それは、マーケットが終わって帰ってきてからということですよね。1ヶ月も…。
葉田野:
かかります。結構もめます。言ったじゃないか、言ってない、みたいなことから始まって、ありとあらゆることで。社内で英文リーガル(法務)やってるのは私だけなんですが、大きい作品、金額が高い作品の時とかは弁護士さんに見てもらったりします。
――
海外の場合は、リーガルはほとんど弁護士さんがやると思うんですが。葉田野さんは契約書の法務的なことはだいたい分ると?
葉田野:
チェックリストを作って、それでチェックして。
――
「それが出来るというのがすごいって言うか、経験のなせる業と言うか。
葉田野:
そうですね、経験値だけでやってます。
――
それで契約書を交わせたら、契約成立と。
葉田野:
そうですね、それでやっと映画が買えたという事になりますね。
――
買付けをやっていて、一番大変だと思うのはどの部分ですか。
葉田野:
交渉事なので、すべてにおいて大変ですけど、マーケット前の準備とか、脚本を泣く泣く読むみたいな時とかはすごい大変です。
――
でも自分が買付けた作品がうまくいった時とかは?
葉田野:
それはすごい嬉しいですよね、本当に。そのためにやってるようなものなので。
――
一番嬉しかったのはどの作品ですか。
葉田野:
一番嬉しかったのは、やっぱり『ハート・ロッカー』ですね。一番当たったし、すごく苦労してアカデミー賞に合わせて、インタビューの手配とかもずっとしていたので。

「配給・宣伝の仕事に就く方法教えます」

ゼロの部分から関われるのが邦画宣伝の面白さ

――
今度は宣伝の話を聞きたいと思います。渡辺さんがずっとやってきた宣伝と言うのは、いわゆるパブリシティが中心ですよね。
渡辺:
そうですね。私は配給会社と宣伝会社と、どちらも経験してるんですが。まず大きく違うのは、配給会社は葉田野さんみたいな買付けの方がいて、作品を買ってきて、試写をやって、この作品をどういうふうに売っていくかっていうのをプランニングして、営業も含めて、こういう方向でやって行きましょうという一つの方向を導き出す。それで予告編を作ったり、チラシを作ったり、ポスターを作ったりとかを宣伝部の方でやります。 宣伝会社っていうのは、配給会社が持っている作品を、現場で雑誌の方とかテレビの方とかWEBの方とか、そういうところに作品をどうやって出していくのかっていうところで、直接媒体さんとやり取りをするのが宣伝会社の仕事です。
――
その宣伝会社の主な仕事はパブリシティということですね。
渡辺:
そうですね。もちろん配給会社も宣伝部を持っていて、直接宣伝をやってるところもありますが、最近、宣伝会社が多くなってきて、配給会社でも宣伝部の人が足りないからって外に出すパターンが結構あります。つまり、宣伝の大枠は配給会社が考えているので、大枠をもとに形にしていくというのが宣伝会社の役割になります。
――
渡辺さんの場合は配給会社も、宣伝会社も両方経験していて、自分で一番やりがいがあるなとか、自分に一番向いてるなとか思う部分の宣伝というのはありますか。
渡辺:
難しいですねー。大きく分けて、洋画と日本映画って宣伝の仕方が全然違うので。洋画で言うと、マーケットに宣伝部として、国際部の方と一緒に行ったりとかもします。カンヌとかベルリンとかAFMとかも行きましたけど、そこでまだ世に出てない作品を見て、自分の宣伝したい作品を買ってもらうっていう部分ではすごく面白かったですね。
――
アスミック・エースの宣伝マンもマーケットに行って、葉田野さんのケースのように「これは宣伝できます!」「この宣伝やりたい!」とか言って、うまく行くこともあるっていう?
渡辺:
そうですね。その面白さはありましたね。日本映画でいうと、アスミック・エースはもともと映画をつくっている会社なので、企画の段階から宣伝部にも相談があったりしました。こういう企画があって、こういう役者でつくりたいけれども、どうだろうかみたいな相談を受けたりして。いわゆるゼロの部分から一緒に関われるというところは、宣伝としてはすごくやりがいがありましたね。例えば『さくらん』という作品が、私の中で一番印象深かったんですが。その時は、「蜷川実花って誰?」ってところからですね。当時、写真家としては有名でしたけど、監督としては初めてでしたし。蜷川監督といろいろ話をしながら、撮影現場も何回も行きましたし、配給宣伝になってからもいろんな所でご一緒して、さらにはDVDになるまでつきあって。本当に1年かけて宣伝した作品です。
――
『さくらん』はすごいヒットしたと認識してるんですが、自分でこういう部分で手ごたえを感じたとかはありますか。
渡辺:
ちょっと前の時代(2007年公開)なんですけど、あの頃は雑誌のパブリシティもすごい効いていた時期ですし、ちょうどテレビのパブリシティも重要視されてきた時期だったので、その両方において最大限の露出ができました。その時、パブリシティの数が映画の中でナンバーワンになったんです。宣伝の露出数で言うと2000とか2500とか、それぐらいだったと思います。
――
その時代に2000と言うのはすごい数ですね。今はインターネットだと軽く1000とか2000は出ちゃうんですね。そうではなくて、紙とか電波を中心にやってそれだけの数が出たと言うのは、すごく話題になったということですよね。
渡辺:
そうですね。あと蜷川実花さんが有名になってきたというか。制作宣伝の時から話題にするようにしてきたので、それで作品が出来上がってから爆発したという感じでしたね。パブリシティの前のパブリシティみたいな事がしっかりできたという。
――
宣伝が一番大変だった作品とかはありますか。
渡辺:
そうですね、洋画でいうと『脳内ニューヨーク』というチャーリー・カウフマン監督作品なんですが。『マルコヴィッチの穴』や『エターナル・サンシャイン』の脚本も書いている人で、満を持しての初監督作品ということで、これは絶対面白いに違いないと思って買ってきた作品だったんですけど、蓋を開けてみたら非常に難解な作品で…。 宣伝って、ひとことで言えるワードを探すんですけど、それが言えない作品だったんですね。しかも私が宣伝プロデューサーになってしまって、どう予告編を作ろうとか、どうビジュアルを作ろうというのが、今までやってきた中で一番難しかった作品ですね。

宣伝はやればやるほど難しいなと思います

――
井上さんはショウゲートで3年目ですね。入ってからすぐパブリシティの仕事をやったりしたんですか。
井上:
入社した当初はデスク業務でした。作品数が多いので、作品の宣材整理や、パブリシティの露出、各媒体の住所を整理したり、関係会社に宣材物を発送したり。そういった業務から始めて、少しずつパブリシティをやらせてもらいました。ですが、社内の体制が変わり、基本的には宣伝プロデューサーと、その下のAP(アシスタント・プロデューサー)で構成されるようになったので、APや、最近は何作品かの宣伝プロデューサーをさせて頂いているという状況です。
――
始めの頃に携わった作品で印象に残ってるというか、自分にとってプラスになったという作品はありますか。
井上:
第一線で働いている方々と仕事がしたいと思っていて、すごくそれを感じたのが『横道世之介』(2013公開)という作品です。沖田修一監督の3本目の長編です。APとして、撮影現場から行かせて頂き、最初から最後まで関わらせて頂きました。作品に携わっている全員が、この作品を当てようと、すごく熱い気持ちで宣伝をしました。
――
それをやって考えた部分とかはありますか。
井上:
渡辺さんと似ているのですが、心の琴線に触れるような素晴らしい作品でしたが、「こういう作品です!」という打ち出しが難しかったと思います。
――
それによって、変わっていったこととかは?
井上:
世に出ていくものの、出ていき方や見え方を意識するように心がけました。こちらから発信することが、一般の人にはどう見えるのか、ということを改めて考えるようになりました。
――
それで自分なりにうまくやれたという作品はありますか。
井上:
劇場版 BAD BOYS J―最後に守るもの―』と『劇場版「仮面ティーチャー」』という作品は、公式サイトやSNSなどのWEB周りを担当しました。発信した情報に対しての反応が非常に見えやすい作品だったので、継続して作品に関心を持ってもらえるよう意識して展開を考えました。
――
3年で宣伝をかなり習得してきたって感じですかね。
井上:
とんでもないです。やればやるほど難しいなと思います。
――
でも、やればやるほど面白い部分もあるのでは?
井上:
面白いですが、すごく背筋が伸びます。様々な立場の方々が映画をヒットさせるために関わって。自分のその中で何ができるのかを常に模索している状況です。私は、経験値もまだまだこれからですが、担当した作品をヒットさせるためにがんばることは、すごくやりがいはあります。足りないところばかりなので、もっとがんばっていきたいと思います。

「配給・宣伝の仕事に就く方法教えます」のゲストと武藤起一2014年3月 ニューシネマワークショップにて

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