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[つくる]映画監督デビューする
方法教えます 2018

ニューシネマワークショップ特別講座2018 vol.7
映画監督デビューする方法教えます2018【採録】

<ゲスト>
中川 駿 (映画監督/NCWOB) 『カランコエの花』『尊く厳かな死』
飯塚俊光 (映画監督/NCWOB) 『ポエトリーエンジェル』『独裁者、古賀。』
藤村明世 (映画監督/NCWOB) 『十年 Ten Years Japan』『見栄を張る』

これまで40人近くの映画監督を輩出してきたNCW。2018年9月、すでに監督デビューを果たし、これからの活躍がより期待される3人のNCWOBを迎え、「どうやって監督デビューしたのか」から、映画づくりに関する様々な話をじっくり聞くという特別講座が開催され、とても有意義な講座となったので、それを多くの人に読んでいただきたいと思い、完全採録しました。映画監督を目ざしたい方はぜひお読みください。

[聞き手:武藤起一(NCW主宰)]

藤村明世監督、中川駿監督、飯塚俊光監督、武藤起一(司会)
右から藤村明世監督、中川駿監督、飯塚俊光監督、武藤起一(司会)

「就職がゴール」ではないからこそ、NCWを選んだ

――
今日はNCWの卒業生で、近年映画監督としてデビューし、今後も長く活躍が期待できる3人のOB・OGに来てもらいました。まず、NCWに通ったきっかけを伺いたいと思います。最初は飯塚監督。受講は2008年でしたね。
飯塚:
当時は26~27歳でした。IT業界に就職して数年経ち仕事に慣れてきて、同時にマンネリな気持ちも生まれてきた頃でした。もし他に何かやりたいことをするなら、20代半ばぐらいがやり直すチャンスではないかと考え、高校生の頃から好きだった映画業界を考えるようになりました。
――
その時から映画監督になろうと思っていた?
飯塚:
いや、高校生の時も単に映画が好きで見ていただけなので、映研に入って映画をつくったりしていたわけではありません。なので漠然と映画学校を探し始めたんですけど、ちょうどその頃、熊谷まどか監督が『はっこう」でPFFアワードのグランプリを獲ったニュースを見たんです。PFFと言えば、高校生の頃に見た熊切和嘉監督の『鬼畜大宴会』(1997年制作。PFFで準グランプリを獲得)など、自分が好きな映画でこの賞のすごさを知っていたので。
――
熊谷監督はNCWのOGです。
飯塚:
はい。それを知って「PFFでグランプリを獲れる監督を出す映画学校ならすごいに違いない」と思ってNCWを選びました。ただ、まだ当時は何となく好きな映画をつくれればくらいの気持ちで、仕事を続けながらNCWに通い始めたので、監督になることはあまり意識していなかったです。
――
次に中川監督。2012年に通い始めましたね。
中川:
はい。私は大学卒業後にイベント制作会社に入ったんですけど、映像を扱うことが多いので必然的に興味を持ち、映像制作を学べる学校を探しました。その会社は1年で辞めて独立し、フリーランスでイベントのディレクターになったので、時間に融通が利くようになったことも大きかったですね。
――
つまり、映画制作ではなく映像制作を学びたかったと。
中川:
そうです。それでいろいろ学校を探したんですけど、どこも学費がめちゃくちゃ高いのと、あとどこもゴールが就職になってるのが気になって。自分はもう仕事はありますから。その中で見つけたNCWは、学費がすごく安いし、何よりゴールが就職じゃなくて映画監督のスキルを磨くとか、そういうスタンスが自分に合っていたので決めました。
――
なるほど。まぁ確かに学費は安いけどね(笑)。
中川:
なので、映画というよりは映像というところでNCWを選んだんですが、いざ入ってみると映画の世界がめちゃくちゃ面白いことに気づいて、今はもうどっぷりですけど。
――
最後に藤村監督。さらに1年後の2013年にNCWへ。
藤村:
私は大学生の時にNCWに通いました。もともと高校生の時から映画制作に興味があって、大学も映画学科を選ぶほどだったんですけど、そこは美大みたいに卒業制作があるわけでもなく、ひたすら理論重視なんですね。ヒッチコック監督の映画の分析とか。
――
じゃあ大学の環境が、あまり映画制作向きじゃなかったと。
藤村:
はい。「せっかく映画学科に来たのに、このまま映画をつくらずに大学生活を終えるのかな…」と思ってた頃、たまたまユーロスペースでNCWのチラシを見つけたんです。そこに、私が大好きな熊澤尚人監督が講師のお名前として挙がっていたのを見つけて。
――
つまり熊澤尚人監督の存在がNCWを選んだ決め手だったと。
藤村:
そうです、私にとっては。熊澤監督の『虹の女神 Rainbow Song』が大好きで。熊澤監督が教えていなかったら、たぶんNCWには通っていなかったと思います(笑)。
藤村明世監督、中川駿監督、飯塚俊光監督、武藤起一(司会)

同期から刺激を受けながら通ううちに、映画制作にハマった

――
さて3人ともクリエイターコース[ベーシック]に続いて[アドバンス]に通い、提出したシナリオが採用されて監督に選ばれたという共通点があります。今度は受講していた時の話を聞いていきたいと思います。
飯塚:
自分は[ベーシック]で10分ぐらいの映画を最初につくって、その時は別に「よっしゃこれで行ける」とか思っていたわけではないですけど、部活に熱中する学生みたいに「映画を撮るのは楽しい!」っていう気持ちが湧いてきたので、そのまま[アドバンス]も続けようと思った感じですね。
――
それで、[アドバンス]でシナリオを書いて選ばれて。
飯塚:
『Semiconductor(セミコンダクター)』という作品ですね。覚えてることは、とにかく武藤さんにケチョンケチョンに言われたことです(笑)。部分的には誉められたところもあるんですけど、「こんなにも一生懸命やってボロクソに言われることもあるんだな」って思いましたね。(会場爆笑)
――
それで、かえって「やってやるぞ!」という気持ちに?
飯塚:
まぁそれもあるし、もちろん悔しさもありますね。自分のふがいなさに対する悔しさも含めて。今から思えば、テクニカルな面は別にしても中身がないというか、単にカッコつけてたんですね。作品のタイトルからして。あと、NCW同期の塩出太志くんのようにどんどんつくるタイプが周りに多かったので、自分もいい影響を受けたと思いますね。
――
そういう経験を通じて、自分のつくりたい映画がわかるようになっていったと。
飯塚:
自分はもともとスタイリッシュな映画に憧れがあって。でも、『Semiconductor』が映画祭で1つだけ入選した程度に終わったことや、スタイリッシュな路線で賞を獲るような映画を見たときに「自分には難しいな」と思って。
――
確かに飯塚監督のスタイルがあるのはわかるけど、いざ映画にしてみるとうまくつながっていないというか、本当に「言いたいこと」を言えているのかなとは感じましたね。では次に中川監督。
中川:
僕はNCWに通っていた時、もちろん楽しかったですが、苦しかった思い出の方が大きかったですね。たとえば[アドバンス]で監督した『親父ん家』。できあがった作品を見ても、そもそも脚本段階から「面白くないな」と思ってて。
――
なにそれ(笑)。あれいい話だったよね、確かあらすじは…
中川:
過労で親父が死んで、遺品整理に息子と娘が親父の家に来るという話です。それだけ聞くといい話に聞こえますよね。いやもちろん、どうにかしようと思って120%頑張ったんですよ。「ムビハイ」での上映も決まってたし。でもどうにもならなくて。何とか形にしたですけど、自分が思っている通りにはならなくて。
――
自分の中で何がダメだったの?
中川:
一言で言うと、映画を知らなさすぎたんです。それまでほとんど映画を見たことがなくて。だから子供たちが親父の家で都合良く遺品を見つけるとか、誰かに都合良く話かけられるとか、むりやり感動させようとつくっていたのがありありで。それで悔しくて火が着いて、また映画の勉強を始めたって感じですね。
――
でも講師の評価はそれほど悪くなかったような?
中川:
自分の中では撮影に入る前からすでにダメでした。あまりに自分がネガティブだったせいか、さっき飯塚さんはボロクソに言われたって言ってましたけど、自分はなぐさめられてばかりでしたよ。露木さん(クリエイターコースディレクター)とか特に、「いい映画だよ」って(笑)。それが逆につらかったですね。
――
そこから奮起して映画の勉強を始めたと。
中川:
はい、映画を見まくりました。それで、映画の情報を全部エクセルにまとめたんです。物語の構成とかジャンルとか監督とか製作国とか。そうしたら、自分の好きな傾向が見えたんですよね。たとえばヒューマンドラマが好きで、感動の押しつけがなく、見た人の心の中に何かが残るような映画とか。『親父ん家』撮った後の1年間で500本くらい見て、それが次の作品にもつながりました。
――
次は藤村監督。[アドバンス]で監督した『彼は月へ行った』は2014年のPFFで入選したんですよね。
藤村:
はい。撮り終わったときは私もケチョンケチョンに言われたんですけど(笑)。ちゃんと脚本を書いて絵コンテを描いてスタッフワークをこなして完成させた初めての作品だったので、とても楽しかったことを覚えています。ただ、映画祭で受賞というところまで行けなかったのが悔しくて。
――
その時点ではもう監督になろうと思っていた?
藤村:
思っていましたね。自分がこのまま映画を撮り続けていいのかどうか分からなかったんですけど、NCWで作った映画が入選したおかげで、自信にはなったので。ただ、短編だと1本だけで劇場公開はできないけど、長編ならできるので、次は長編をつくろうと思って撮りました。
――
「撮りました」ってあっさり言うけど(笑)。普通は長編映画をどうやってつくるか知らないわけだから大変じゃないですか。そこからどうしたの?
藤村:
私は2つのきっかけが重なったんです。一つは、PFFでは短編だけでなく長編も上映されていたんですけど、その時に大阪のCO2(CINEASTES ORGANIZATION OSAKA)という若手の映画制作を助成してくれる団体の作品が上映されていて、CO2の存在を知ったということ。もう一つは、そのCO2でちょうどNCWOBの神保慶政監督が映画を撮っていたのを知ったことです。そこで、思い切って映画企画のプロットを送ったら採用して頂いて。
――
それがこの『見栄を張る』ですね。NCWを卒業してすぐ?
藤村:
はい、応募したのは2015年なので。それで60万円ほど助成金を頂いて、長編の制作を始めました。NCWを卒業して2年位です。
藤村明世監督、中川駿監督、飯塚俊光監督、武藤起一(司会)

制作部で1本撮ったことで、自分に合った映画づくりが見えてきた

――
何というトントン拍子(笑)。それに比べて、苦労を経験した飯塚監督に今度はNCW卒業後の経緯を話してもらいましょう。
飯塚:
NCWを卒業した後は制作部に入って、40分位の『行けよ、千葉。』という作品を撮ったんですね。主人公が千葉くんという高校生なんですけど、いじめられっ子の彼が最後は明るく立ち向かっていくという、いわゆるベタな作品ですね。この時、自分の作品をすごく好きだと言ってくれる人が現れたのが嬉しくて。
――
飯塚監督自身はそういう経験はあった?
飯塚:
いや、実はそこまででもないです。だからあまり言えないんですけど、作品を見て話しかけてきてくれた人に正直に話すと「なんだ、同じ(いじめられっ子の)仲間だと思ってたのに」とか言われたりして(笑)。ただ、目立たないというか、マイノリティ側の高校生活を送っていたのは確かです。自分の経験を誇張して「ダメな10代が何かに向かっていく」というエンターテインメントを描くのが自分に合っていることに気づくことができました。
――
あの作品は結構評価されたよね。そこから次は長編に向かうわけですが。
飯塚:
『行けよ、千葉。』の経験をふまえて、次はより分かりやすく、よりエンターテインメントな作品をつくろうと思ったんですね。長編にしたのは、短編映画祭だと長さが30分で切られてしまうことが多くて、だったらいっそのこと60分ぐらいの長編にしてやろうということで。
――
そうして書いた『独裁者、古賀。』の脚本が、伊参スタジオ映画祭(群馬県中之条町)のシナリオ大賞で2012年に大賞を受賞して。NCWOBもこれまで何回か受賞しているけど。でも、できた作品は60分どころじゃなかったよね。
飯塚:
79分ですね(笑)。自分も以前に応募したことがあって、その時は2次止まりだったんです。実はシナリオ大賞に長編部門はなくて、中編部門の最大40分まで。全体の尺というか枚数が決まってるので、『独裁者、古賀。』のときは圧縮して40分にして。実際に受賞してつくり始めたらどんどん増えていっていった感じです(笑)。
――
自分の中では受賞の自信はあった?
飯塚:
いや、なかったです。シナリオ部門の応募者って、シナリオセンター出身の人がたくさん応募するんですよ。だからこそ受賞した時はめちゃくちゃ気持ちよかったですね。なんかこう逆転したような気持ちで。彼らはシナリオについては詳しいから「あの映画やドラマの脚本がどうこう」ってよく批評してるんですけど、「こっちはそれを映像化してるんだぞ!」って思いながら。(会場爆笑)
――
受賞を契機に、ついに劇場公開へと。
飯塚:
受賞で頂いた賞金100万円を製作費に充て、それからNCWの露木さんに相談して「劇場公開だったら最低でも60分は必要」ということで、シナリオをどんどん膨らませて長編にしまして。『独裁者、古賀。』も『行けよ、千葉。』と同じで、高校生の主人公がいじめられっ子で、違うのは同じいじめられっ子の女の子と恋愛するところとか。
――
そして2014年のPFFで「エンターテインメント賞」を受賞。藤村監督の初入選と同じ時でしたね。
飯塚:
はい、ついに自分の映画が「エンターテインメント」として認めてもらえたって感じで。
藤村:
正直言って、悔しかったです。
飯塚:
うそ、あの時、藤村さんは「嬉しいです」って言ってくれてたじゃないですか!怖いな~(会場爆笑)
――
まぁ、飯塚監督のほうが2ステップぐらい先に進んでますからね(笑)。二人ともNCWできちんと基礎づくりをして、制作した作品が評価されて劇場公開に至ったという点は共通していますが。
『独裁者、古賀。』
『独裁者、古賀。』(監督:飯塚俊光)
(c)「独裁者、古賀。」製作委員会
2015年7月公開

NCWで学んで、1年間で500本見たことが自分の糧に

――
今度は中川監督に、制作部に入ってからの話を聞きましょう。
中川:
僕は最初は長編じゃなくて、2分間の『time』という超短編作品ですね。制作部とは関係なく、自分で勝手に撮った作品です。NHKの「ミニミニ映像大賞」という、今はもうなくなっちゃったコンペですけど。従来の30秒部門とは別に120秒(2分)部門が最初にできた年だったんです。毎年テーマが違って、その年は「時」がテーマだったので、そのままタイトルにしました。
――
それでいきなりグランプリを獲ったと。着想はどこから得たんですか?
中川:
さっき言った500本の映画を見る中で、好きな映画監督に出会ったんですね。イランのアスガル・ファルハーディーさんで、『別離』という代表作があります。彼が毎回、作中で使う巧妙な嘘が大好きで、それでテーマの「時」と自分の好きな「嘘」を掛け合わせてシナリオを書いてみたという感じです。
――
撮影はどれぐらいかかりました? 1日位?
中川:
3時間位ですね、2分の作品ですし。あ、皆さん、YouTubeで見られますので「中川 タイム」と検索して、ぜひ見てみてください(笑)。それがNCWを卒業した後、2014年の夏に撮った作品で、その冬には60分以上の長編を撮ることになって…。
――
それが『尊く厳かな死』。タイトルの通り、尊厳死をテーマにした作品ですね。何かきっかけはありますか。
中川:
まず尊厳死というのは、不治かつ末期で不必要な延命治療をせずに本人の意志を尊重するという人生の終わり方です。ちょうど映画を勉強していた2013年に、祖父がそういう亡くなりかたをしまして。それで遺してくれたお金があったんですけど、きっとこれでそういう映画を撮れということなのかなと思って、テーマにしました。最初、武藤さんにシナリオを提出したときに、何かアドバイスがほしかったのに、「いいね、これで撮れば」ってあっさり返されて(笑)。
――
ストーリーはシンプルだし、伝えたいことがはっきりしていたからね。改めてあらすじを教えてもらえますか。
中川:
主人公の直樹の母親が、事故で植物状態になり、直樹が妻や妹を含めてとても動揺してしまいます。そのとき母が「尊厳死の宣言書(リビングウィル)」を書いていたことを直樹が思い出すんですが、いざそれを受け入れるかどうかで葛藤するという話です。
――
飯塚監督のようなエンターテインメントではなく社会派という感じだけど、何かそうなった理由はありますか。
中川:
祖父のこともありますけど、やはり500本の映画を観る中で、自分が観ていて好きと思えたのが、そういう作品をつくる監督さんだったということですね。あと、僕は自分の思いだけでつくることにちょっと踏み出せないんですよ。他の人の要請があったりとか、社会的に関心が高いテーマとかに応えられる作品をつくりたいという気持ちがあって。
――
この映画がいきなり、第2回新人監督映画祭で準グランプリ(中編部門)、福岡インディペンデント映画祭2016で企画賞を受賞という…。
中川:
お陰様で選んで頂いて、劇場公開まで実現して。でも実は、もう少しいけるかなとも思ってましたけどね(笑)。やっぱり、NCWでいろいろ学んで、その後1年間映画を観て勉強したことが、今でも自分の糧になっていると思います。
『尊く厳かな死』
『尊く厳かな死』(監督:中川駿)
2017年7月公開

「絶対に劇場公開したい!」その熱意が劇場支配人をも動かした

――
では藤村監督に『見栄を張る』の制作について話を聞きます。このポスターにも書いてある「28歳の売れない女優、そろそろ本気出す」というコピーが面白いね。タイトルとシナリオは自分で考えたんですか。
藤村:
はい。東京で売れない女優をしていた主人公の姉が亡くなって、地元の和歌山に帰って、姉の職業の「泣き屋」を継ぐところから始まります。「泣き屋」というのは、他人のお葬式に参列して泣く職業で、日本にも60年ぐらい前まではあったようです。今でも韓国とか一部の国には残っているみたいですが。
――
なんでまた「泣き屋」をテーマにしたのか、すごく気になりますが。
藤村:
きっかけは高校生のころにたまたま、お昼のテレビのワイドショーでやってたのを見たことです。今で言う軽い感じの「レンタル参列者」ではなく、泣くことで個人の魂を安らかに送り出す僧侶のような役割があったことを知って、映画のテーマとして面白そうだなとずっと思っていたんです。ちょうどCO2が企画力を試されるコンペということもあったので、他にもストックはあったんですけど、審査員に対してフック(引っかかり)のあるテーマにしようと思って。あとは、ダメだけど奮起する女性を描きたかったのもあって。
――
そしてまんまと審査員の心に「引っかかった」と(笑)。でも、最初からシナリオができていたわけではないんでしょ?
藤村:
そうですね、応募はプロットだけだったので、シナリオは受賞した後からです。2015年の9月頃に制作が決まって、翌年3月の「大阪アジアン映画祭」に出すことも決まって、逆算して12月には撮影だったので、スケジュールがきつい中で1ヵ月半ぐらいで書きました。とはいえ長編の脚本なんて初めてだから最初は全然書けなくて。この時大阪で初めて出会った助監督さんと、毎日のようにほぼ徹夜で話しながら書き上げました。誰かがOKを出すとかではないのですが、何とか自分でも納得できるシナリオにできました。
――
その短期間で納得できる脚本にできたのは素晴らしいですね。その後の撮影は?
藤村:
2週間弱かけて、ほとんど和歌山で撮りました。大阪の映画祭なので撮影地は関西という制約もあって、その中で「主人公が田舎に帰った」という設定もある中で、雰囲気が合っているところを選びました。
――
撮影費用はどうでしたか? それだと60万円では撮れないと思うのですが。
藤村:
(苦笑)
飯塚:
(笑いながら)なんか困ってますよ。
中川:
ひとりひとりにお金の話。(会場爆笑)
――
ほら、ここに来ている方たち(受講者)はそういうリアルな話に興味あるでしょう?
藤村:
全部でその3倍以上、200万位はかかっていて、足りない分は「クラウドファンディング」で補いました。あとは、脱サラして映画のプロデュースを始めた方と偶然出会って、「いくらでも出してあげるよ」って言われて。
――
なにそれ。どうやったら偶然出会えるの?(笑)。
藤村:
CO2のときにスタッフさんを集めたパーティーで出会ったんですけど、その方は元商社マンで、でも映画が好きで脱サラして、映画のプロデュースをやっていきたいと。普通に考えたらちょっと怪しいですよね(笑)。だから私も最初はお断りしていたんですけど、思い切って相談してみたら熱意があって本当にいい方で。その方のお陰でこの映画が撮れたと言っても過言ではないです。そういう点では運がいいのかもしれないです。残りは自費です。
――
さて、完成の時点では劇場公開までは決まってなかったですよね?
藤村:
CO2は作品の完成までは見てくれるんですけど、「大阪アジアン映画祭」でお披露目したらそこでおしまいで、あとは自分で行動しなければいけない感じで。ただ、自分としては多くの方にお金も出して頂いたし、ここで終わらせたくないと思って、あとは意地で劇場公開にもっていったという感じです。2016年のSKIPシティ国際Dシネマ映画祭で「SKIPシティアワード」(日本映画の最高賞)を頂いたりして、実績を積んでいきました。
――
そしてユーロスペースでの劇場公開が決まるわけですが。そこまでの道のりはどうでしたか。
藤村:
それがとても大変で。2016年の春に完成して、そのユーロスペースにDVDを持って行って「観てください」とお願いしたんですけど、一向に観てくれていなくて。支配人さんもお忙しいみたいで、デスクに他の作品のDVDも山積みになってて。2017年の2月にCO2の作品3本をユーロスペースで1週間だけ公開するイベントがあったんですけど、私の作品は2回上映されて結構お客さんも入ったんです。そういう結果も出したので、思い切って支配人さんの部屋にポータブルDVDを持って行って「いまここで一緒に観ましょう!」って押し切って観て頂きました。
飯塚:
すごい行動力(笑)。
藤村:
その時の支配人さんの反応もよくて、劇場公開して頂くことになったんですけど、予定が埋まってるから半年後になるということと、あとはちゃんと配給をつけましょうということになりました。
――
まぁ劇場としては配給がしっかりしてるほうがいいからね。
藤村:
宣伝の面でも大きいですし、あとは撮影をした和歌山でも公開したくて。ただ、和歌山にはシネコンしかないので、そこは私個人では契約ができないので、やっぱりちゃんとした配給会社が必要だなっていうことになりました。
――
配給会社はすぐ決まった?
藤村:
ユーロスペースの支配人さんも紹介してくれたんですけど、最初はなかなか決まらなくて、最終的には太秦(うずまさ)という配給会社に決まりました。そこも最初は難色を示されたんですけど、ユーロスペースでやると決まっているならいいよということで何とか。そういう感じで、決してトントン拍子ではなくて、完成してから2年ぐらいかかって、やっと劇場公開にこぎつけました。レイトショーで最初は2週間の予定だったんですが、多くの方に観て頂いたおかげで3週間に延ばして頂きました。
『見栄を張る』
『見栄を張る』(監督:藤村明世)
© Akiyo Fujimura
2018年3月公開

「ダメ男」を輝かせることでは誰にも負けない

――
では再び飯塚監督に話を聞きます。『独裁者、古賀。』の公開はすぐ決まったんですか?
飯塚:
いやー、そんないいエピソードはないですけど(笑)。PFFの受賞が2014年で、翌年の2015年になって、K's cinema(新宿の単館系映画館)のモーニングショーでの上映が決まりました。しかもそのとき僕はndjcで製作した『チキンズダイナマイト』という短編映画(30分)のほうにかかりっきりになってて大変な時で…。
――
ndjcというのは、文化庁委託事業の「若手映画作家育成プロジェクト」ですね。それにも選ばれて。
飯塚:
はい。その時にも露木さんが動いて下さって。なので藤村さんみたいに自分からグイグイ売り込んだって感じではないので、本当に彼女はすごいと思います。
中川:
そういうのは女性のほうが強いのね。僕たち男にはできないですよ、変なプライドが邪魔して(笑)。
――
まぁ監督業に専念できるなら、そうしたいよね。それで次作が『スクラップスクラップ』(オムニバスの1本)で、その次が2本目の長編となる『ポエトリーエンジェル』と。これも確か映画祭がきっかけで製作できて、劇場公開したんですよね。
飯塚:
田辺・弁慶映画祭(和歌山県田辺市)で、『独裁者、古賀。』が入選(2014年)した時から不思議な縁があるんです。それで2016年は第10回開催記念ということで、過去の入選監督だけ応募できる企画コンペがあって、本当に運良く『ポエトリーエンジェル』が賞を頂きまして。受賞の時点でテアトル新宿での劇場公開も決まっていたので、賞をとったからには製作ということになって。製作費300万円プラスお金以外の支援もして頂きました。
――
この『ポエトリーエンジェル』は、今までの「イジメ三部作」とはちょっと趣向が違いますよね。題材にした「詩のボクシング」っていうのは?
飯塚:
そうなんです。僕の映画を見た人が僕に抱くイメージが、「いじめられっ子だったのか」とか「高校生ばかり使ってるからロリコンなのかな」とか。ちょっとそれを変えたかったのもあって。「詩のボクシング」というのは、リング上で詩人が自作の詩を朗読したりして戦わせて、心に響いたほうを観客が選ぶという競技ですね。
――
知っている人は知っているけど、おそらく映画の題材になったことはなさそうですよね。なぜこれにしたんですか?
飯塚:
藤村さんの「泣き屋」に近いんですけど、僕も高校生ぐらいの時に「詩のボクシング」をテレビで偶然見たことがあって、ずっと頭の中に残ってたんですよね。それで大人になってから、「詩のボクシング」を学校行事としてやっている学校があると知って、見学に行かせて頂く機会があったんですけど、それを見て自分の中で「あ、これだ!」と、いろいろなものがつながった感覚があって。
――
具体的にはどうつながったんですか。
飯塚:
高校生の時って、たとえば顔がカッコよくなくて、それでもコンプレックスを逆手にとってクラスを爆笑させて人気者になっている生徒が「勝ち」みたいなところがあるじゃないですか。『独裁者、古賀。』とかも、普段はいじめに遭っていて「自分はダメだなぁ」と自信のなかった主人公が次第に自信を持っていくという感じで。自分自身がそこまでいじめられっ子じゃなかったと言っても、何となくコンプレックスを抱えて生きてきたところは事実なので。
――
なるほど、日頃は目立たなかったりコンプレックスを持っている主人公が、ある場面でそれを乗り越えていくという点で、「いじめ三部作」とも一貫性があるということですね。さて、撮影はどんな感じでしたか。
飯塚:
予算や役者さんの都合もあって、田辺市や首都圏で4日ずつ、計8日間で撮影しました。ダブル主演の岡山天音くんと武田玲奈さんは当時から売れっ子でしたし、あと天音くんの友情出演で山崎賢人くんも来てくれて。
――
よく出てくれたね(笑)。他の俳優さんも豪華なメンバーだし、それは長期の拘束が難しいですよね。予算は300万円で足りました?
飯塚:
いやもう全然足りなくて、関係各所から協賛を募ってカバーさせて頂きました。映画のエンドロールにもたくさんご紹介させて頂いています。そういう点も含めて、ようやく長編映画を製作する際に、自分は監督業に専念できてありがたかったです。
――
それで2017年の春、ついに劇場公開。4週間の公開で、お客さんの評判も上々だったとのこと。そして、今年の高崎映画祭で主演の岡山天音くんが最優秀新進男優賞を受賞。見事に結果が出ましたね。
飯塚:
この映画を撮るまで、自分の中で「どういう映画を撮っていけばいいんだろう」と、ずっと葛藤があったんです。構成が上手い人、美術が上手い人、女の子を撮るのが上手い人とか、いろんな監督がいて。それで、自分の作品は「ダメな男」である自分の姿を主演に自己投影しているから、主演の方をはじめとして役者さんに寄り添える監督になりたいなとはっきり思えるようになったんです。「ダメな男」を輝かせることだけは他の監督に負けないぞという。
――
つまり、岡山天音さんの新進男優賞は、自分としても最高の評価ということですね。
飯塚:
彼には『チキンズダイナマイト』でも主演してもらったので、自分が一番力を入れてきた彼を輝かせることができたという点で、受賞は本当に嬉しかったですね。『ポエトリーエンジェル』の最後の詩の朗読の場面は、彼の方から「もっとこうしたい」という力強い申し出を受けてNCWで打ち合わせをしたりして2人で作り上げていったので、彼との信頼関係性をつくれたことも監督として自信になりました。
『ポエトリーエンジェル』
『ポエトリーエンジェル』(監督:飯塚俊光)
© 田辺・弁慶映画祭第10回記念映画プロジェクト
2017年5月公開

「特別扱いは差別と同じ」、LGBTも自分の視点で描いた

――
では再び中川監督。長編の『尊く厳かな死』が2017年に劇場公開されましたが、もう少し先になると思っていたとかいないとか。
中川:
時期的な問題というか…。自分の祖父を目の当たりにした経験から尊厳死というリアルなテーマを扱ったので、ドラマティックにしようとか面白くしようとか、そういうことは考えていなかったです。ですから、リビングウィルについて知ってもらいたい層とか、同じような境遇にいる層に届けたいと思って宣伝をしていたこともあって、広く一般の人々に観てもらうための劇場公開はあまり意識していなかったんですね。そこに露木さんから「ムビハイ」で上映しないかとお話を頂いて…。
――
「ムビハイ」で劇場公開されて、作品は上々の評価で。でも自分の中ではまだ100%ではなくて、じゃあ次はどうしようかと思って撮ったのがこの『カランコエの花』だと。
中川:
2016年に製作したので、『尊く厳かな死』が完成して、公開するまでの間ですね。その少し前、渋谷区で「同性パートナーシップ」が条例で認められて話題になっていたので、自分の中では必然的にLGBTをテーマに映画を撮ろうという流れで。そのとき仲間内で「センシティブな題材なので、どういう切り口で映画を撮ったらいいか分からない」という話をしたら、「それこそ差別的な考え方じゃない?」と言われてハッと気づきました。
――
なるほど、LGBTを特別扱いしてしまうような態度そのものが差別的だと。
中川:
自分自身はストレート(異性愛者)なので、自分の視点でそのまま撮ればいいんだと気づいて。一般的にLGBTを扱った映画って、当事者が主人公の映画が多いんですけど、『カランコエの花』は主人公の女の子を含めて周囲からの視点で撮ったという点で、オリジナリティがあると思ってます。主人公のクラスでいきなりLGBTの授業が行われて、「クラスの中にLGBTがいるのでは?」とざわつくところから、最終的に彼らの意識がどう変わるかというストーリーですね。
――
自分がLGBTの当事者でないと描きづらいような気もするけど、シナリオはすぐ書けましたか?
中川:
あくまで自分自身の視点から描けばよかったので、そんなに苦労はなかったですね。仲間から気づきを得て、その後2カ月ぐらいで書けました。それから1カ月ぐらいでキャストを募集して。ちなみに主人公を務めた今田美桜さんは、もともと福岡を拠点に活動していた女優さんだったんですけど、わざわざ応募してきてくれて。この映画の後に東京の事務所に移籍して、いま大ブレイク中なので嬉しいです(笑)。
――
彼女のフィルモグラフィーに『カランコエの花』が載っていないのが残念だね。
中川:
事務所の判断ですかね、悔しいですけど(笑)。彼女はいい子だし、女優らしい目力もあって、何より本当に頭が良いんです。僕は作品を演じる上でのポイントと、大雑把な指示しかしていないんですけど、彼女が台詞とかアクションとか自分でアレンジしてくれて。作中の女の子同士の会話とかも、僕は何も指示してないですよ。「恋バナしてくれ」って言っただけで(笑)。
――
撮影自体の日数とか費用とかはどんな感じですか?
中川:
茨城県の那珂市で4日撮影して、あと主人公の自宅のシーンで1日の、合計5日間ですね。製作費は120万円ぐらい。自分としてもコンパクトによくやったなと思ってます(笑)。ちなみに今年大ヒットした『カメ止め!」も茨城で撮ってるんですけど、水戸フィルムコミッションの平戸さんという担当者に僕もお世話になったんです。あと同じく『カメ止め!」にも出ているイワゴウサトシさん。だから、この2人が携わったらうまくいくというジンクスがあるみたいです(笑)。
――
『カランコエの花』は39分の短編というか中編の映画ですけど、最初からこの長さで考えていました?
中川:
もともと「ショートショートフィルムフェスティバル」に出すつもりだったので25分の予定だったんですけど、少し長くなっちゃいました。だから劇場公開もまったく考えていなかったです。ところが去年の「ムビハイ」で『尊く厳かな死』をやっていた時に、レインボー・リール東京(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)のコンペティションでグランプリを受賞したことで、そこから立て続けにいろんな賞を頂きまして。国内の映画祭でグランプリ6冠を含め、いまは合計13冠です。
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だから、「ムビハイ」では長編以外はあまり1週間ロードショーしないんだけど、話題作なのでぜひと声をかけて。そしたら連日チケットは即完売の超満員。監督としての分析はありますか。
中川:
もちろん自分も各所に挨拶に行ったりもしたんですけど、マスコミの方が取り上げてくださったり、それは当事者ではなく周囲の人間の目線で描いたLGBTという題材がよかったのかなと。LGBT自体が話題になって時間が経って、「LGBTという言葉の認知は広まってきた、じゃあ具体的に周囲はどう向き合えばいいの」という空気にうまく乗れたんだと思います。「ムビハイ」の後、渋谷や吉祥寺でも公開されて。最初の1週間だけなら『カメ止め!」にも勝ってます(笑)。
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本当に我々も過去に経験がないぐらいの大ヒットで、長編でなくても作品に力があれば劇場公開作品として道を切り開いていけるんだと確認できて、感慨深いですね。
中川:
逆に39分だからこそよかった側面もあります。たとえば学校でLGBT教育に使いたいという時に、授業の1コマに収まるんですよね。あとは企業さんの社員教育とか、自治体で人権啓発活動に使いたいとか、自分でも想像していなかったところからたくさん引き合いが来て。ですから自分でも新しい可能性に気づけたという点で、本当によかったと思っています。ということで、39分で観られるので皆さんもぜひ(笑)。
『カランコエの花』
『カランコエの花』(監督:中川駿)
© 2018 中川組
2018年7月公開

企画力で是枝監督に選ばれ、さらに自信がついた

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そして再び藤村さん。『見栄を張る』の後に、『十年 Ten Years Japan(以下「十年」)』というオムニバス映画の1本を撮ったんですね。これはどういう経緯で。
藤村:
まず香港で『十年』という、5人の監督がオムニバス形式で「十年後の香港」をテーマに撮った映画が作られて、今度は同じものをタイ・台湾・日本でもやろうということになったんですね。日本では是枝裕和監督が製作総指揮で、「十年後の日本」をテーマに企画の募集があったので、自分が日頃考えていた原発事故の問題を描きたく「大気汚染のために人々が地下で生活している」という内容でプロットを出しました。そして、5人の中に選んで頂いて。
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またもや企画の力で選ばれたわけだ。すごいね。
藤村:
是枝監督は、名前を伏せてプロットだけで選んだと仰っていました。環境問題という切り口が監督の目に止まったらしく。それで1人20分ずつで合計100分の映画を撮ることになりました。香港の場合は、10年後は中国に制圧されているとか政治的な内容も多いんですけど、日本の場合は高齢化、AI教育、デジタル社会、原発、徴兵制という真剣なテーマを扱いながらも、説教臭くなく、エンタメとしても楽しめるようになっていますので、よろしければ皆さんぜひ観てください。
『十年 Ten Years Japan』のうち『その空気は見えない』
『十年 Ten Years Japan』のうち『その空気は見えない』(監督:藤村明世)
(C) 2018 “Ten Years Japan” Film Partners
2018年11月公開
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3人ともNCWを卒業して数年でいろんな経験をして、今後の自分の映画の方向性とかが少し見えてきたのかなという気がします。最後に、今後の抱負を語ってもらいたいと思います。
飯塚:
高崎映画祭のときに、阪本順治監督に会ったんです。見た目は強面で、でも吉永小百合さんと仕事をしたときの話とかとても面白くて、こういう「いい監督」になりたいと思ったんです。「いい映画」を作って有名になりたいというのもあるけど、できるだけ粘って自分のつくりたい作品を撮りつつ、人間的にも魅力のある監督になりたいなと。来年に向けて新作も頑張っていますので、ぜひ皆さんよろしくお願いします。
中川:
自分もまだインディーズの世界だけなので皆さんにメッセージとか少しおこがましいなとは思うんですけど、自分としてはインディーズでできることは一通りやったと思っています。次は商業映画を考えていて、お話もいくつか頂いているんですが、作りたい作品のイメージは頭にあるので、来年製作して再来年ぐらいにはお披露目したいです。ただ、まだ『カランコエの花』のほうも熱が冷めていないので、こちらもぜひよろしくお願いします。
藤村:
自分もまだまだこれからですけど、試行錯誤しながら地道に一歩ずつ進んでいったら、何とかここまで来ることができました。まだ次回作は決まっていないですが、やりたいことはある程度決まっているので、今度はもっと骨のある長編をつくっていきたいと思います。
(2018年 9月14日(金) ニューシネマワークショップにて)
(2018年 9月14日(金) ニューシネマワークショップにて)

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